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PH008 鵜飼之図
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川端玉章
絹本肉筆彩色 牙軸 生ぶ三段本表装 桐共箱桐二重箱
画:1271mm×502mm 軸:2165mm×662mm(軸先含まず)
¥350,000
Gyokusho Kawabata
1842〜1913
川端玉章は明治大正期の四条円山派を継承した巨匠でした。天保13年に京都二条河原町で蒔絵師の子として生まれました。父は三井家に出入りしていたことから奉公することになり、その縁から中島来章の門人になりました。慶応3年に江戸に移住し、明治10年に内国勧業博覧会で褒状、明治15年の内国絵画共進会で銅賞になり名を知られるようになりました。明治23年(1890)に岡倉天心の推挙によって東京美術学校に円山派の教師として迎えられました。その後は帝室技芸員、日本美術院会員になり文展審査員も勤めました。明治42年に川端画学校を設立し、門下には木村武山、田中頼璋、結城素明、尾竹竹坡や平福百穂など錚々たる人々を輩出しました。
この絵は、三艘の船の鵜匠が鵜を巧みに操って鮎を捕る鵜飼の様子を描いたものです。墨彩を用いて、素早い筆致で遠景の山々や木立を描き、人物は円山派の技法で緻密に表現しています。使われた色彩は金泥のみで、それによって篝火や水面が印象深く描かれています。玉章の作品は多く残されていますが、その中でも大作であり傑作の一点です。また、子息である茂章の添え状も付随していて貴重です。
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